2022.11.15 様態動詞

 埋葬文化財
 埋葬文化財の授業がありました。全体的にはよく分からないんですけど、博物館の役割についていろいろ考えさせられました。例えば、地域博物館にピカソの絵を持ってきたらそれは何か意味があるだろうか、地域資源になるだろうかという問い。もう一つは、富士山に頂上までいけるロープウェイを作ったら人が来るだろうかという問い。お客さんの求めることはシンプルで「きれい」「映える」みたいなものばっかりだから、人工物があるとかえって人気が無くなるかもしれないとか。うーん。確かにその通り。自然を身に来てるのにあまりに整備されてしまうと魅力が減る気はします。
 たぶん近くの博物館にピカソ持ってきても、1回はみたいなーと思うかもしれないけどなんで青森にピカソ?って疑問は拭えないと思う。それに、博物館は地域資源の保護をするところだと思う。それを活用して人からお金を取るっていうのはついでであって一番じゃないはず。客寄せパンダのようなものはちょっと美しくない、というのは理解できる。

 累加複数と連合複数
 同種のものを累加的に数え上げ、それらを一つのまとまりとして「たち」を使うときは累加複数、別種のものの集まりをその集まりの代表者に「たち」をつけてひとまとまりとするときは連合複数っていう話。そんな違いがあることは東京方言だけ見てると気づけない。累加複数と連合複数で異なる形式を用いる言語もあるそうだから、言語から垣間見える人の認知はやっぱり面白いなあと思った。

 必須補語
 必須補語とはどんなものかっていうのを詳しく、曖昧さを含まずに説明してる本ってないんだと思う。動詞に対して反問を誘発するものが必須補語だ、なんていう定義を使っていたら、曖昧過ぎると思う。その人のバックグラウンドで誘発される反問って変わってくるだろうし。例えば「書く」に対して誘発する反問は「誰が?」と「何を?」だから「書く」は二項動詞だと考えるのが”一般的”だけど、「世界の言語と日本語」にも書かれてるように、書くためには道具も必要だし、書く場所も必要だし。そうすると4項動詞って考える人もいるかもしれない。その人が美術に詳しければ「なにで書いたの?」って道具を知りたいかもしれないし、「なにに書いたの?」と紙質(?)のほうに興味があるかもしれない。だから反問を誘発しやすいものが必須補語になるっていうのはやっぱりきつい。私も必須補語について説明するときはこういう類の質問が来ることを想定してます。この質問には「書く」は一般に2項動詞って言われてます、って答えしかやっぱりできない。

 そこで必須補語についてどうにか別の説明ができないかということで授業で議論しました。私は「AがBをなぐる」を直接受身「BがAになぐられる」にする過程でAとBの語順が変わるものが必須補語と呼べばいいんじゃないか?と思ったけど、これだと「AがBに会う」のような文はそもそも直接受身にしにくいから必須補語を説明できない。自動詞も直接受身にはできないから自動詞も説明できない。この定義だと典型的な他動詞について説明できるだけでその他ができなかった。
次に考えたのが、意味役割には階層があるんじゃないかという話。動詞には必ず動作主が必要だから<動作主>は最優先。次にその動作が及ぶ広い意味の<対象>、その次は動作の<受け手>、次は<道具>…など。「あげる」は<受け手>が存在するから、<受け手>よりも上の階層のものは必然的に必須補語となりだから3項になるんだみたいな。これは何だか一理ありそう。でも意味役割の階層を明らかにするのはめちゃくちゃ難しいと思う。今のところ一つの仮説。
それらはともかくとして、必須補語についてこんなものが必須補語ですよと条件を提示する形も考えました。

 必須補語の定義(草案)
 ①日本語では授受動詞を除けば、主要項は最大2つまで
 ②移動動詞のうち、様態を表す動詞は一項動詞、それ以外は二項動詞

 授受動詞は3項動詞だからこれを除くってのは分かる。これ以外にも「-ガ-ヲ-ニ変える」「-ガ-ヲ-ニ運ぶ」とかの3項動詞もあるかなーと思ったので、①の条件は授受動詞以外にも除くものがありそう。それ以外は確かに主要項は最大2項になると思う。「殺す」「叩く」「食べる」「洗う」とかの典型的な他動詞は2項、「降る」「落ちる」などの自動詞は1項、「停電する」「吹雪く」などは0項だから。主要項は最大2つまでと決めたのも日本語だけを見て勝手に決めたことじゃなくて、日本語以外の言語を見てもそうだから。

寺村(1982)によると、移動動詞には「出る」「通る」「渡る」「通り過ぎる」のように通りみちを表すヲ格補語は必須補語。確かにヲ格補語がないと変だなーってのは分かる。ところが同じ通りみちを表すヲ格補語をとる「歩く」「走る」「飛ぶ」「這う」「進む」などは必須補語ではなく準必須補語としてます。「道を歩く」というときの「道」には情報としての価値がないから言う必要がないっていうこと。それから「歩く」は移動そのものよりも右足左足を交互に出して、という”移動の様態”を表す性質が強いからってことが挙げられてます。ここで「様態動詞」という言葉がでてくるんですけど、これが②と関係してきそう。
例えば「這う」って移動動詞だけど、位置の移動よりも地面を這いつくばっている様子のほうがフォーカスされる感じがします。それは移動よりも”移動の様態”を表してるってこと。こういう様態を表す移動動詞は通りみちを表すヲ格補語が必須ではないんじゃないかっていう見方です。それ以外の移動動詞は起点にしろ経過域にしろ着点にしろ必須補語となるのでは?

 反問を誘発するかどうかで必須補語を見極めるとその過程でどうしても人が介在することになるから定義も曖昧になってしまう。こうしてみると他動詞って何なんだろうか、必須補語って何なんだろうか。考えさせられます。

 必須補語と目的語の違い
 目的語は他動詞の対象にあたるものだけど、必須補語は他動詞にもあって自動詞にもある。必須補語のほうが大きなカテゴリー。その中に目的語が入ってる。

 今後興味があるやつ
 関係節化の階層、音韻の階層、移動表現の類型論




2022年11月17日大学院での生活