2022.10.21 先生でも分からないことが多い

 先生は本当に引き出しが多くて驚かされます。大学院に入るなんて考えもしなかったころは先生っていったい何を研究してるんだろう、何のために研究してるんだろうと、実状が分からないから疑問ばっかりでした。今も実はまだちょっとあります。自分でいうのもなんですが、言語は、日本語はどんな仕組みなのかを研究し解明されても人々の生活にはまったく影響がないし、世界を揺るがすようなことにもならない。それでも高いモチベーションで研究し続けられるのは何かがあるんだろうなあと思います。

 全く分からないことに対して私が的外れな意見を言っているかもしれません。的外れなのかどうかも私には分からない、そんなレベルです。それでも先生はいったんそれを真面目に受け取って考えてくれたりします。これは不思議に感じました。私は今まで定説となってる分類とかをきっちり勉強してきたので、何か日本語の問題に直面した時に今ある知識で、知っている枠の中でそれを捉えようとしてしまってます。でも研究はその枠から離れて問題に当たらないといけなさそう。先生はこの考え方に慣れている気がします。そして分からないことに向き合うときに「自分は何も分からない」という立場に立って、私の稚拙な意見さえもくみ取って考えてくれるのだろうと思いました。

 他にも、授業の内容は基本的に先生も分からないことばかりなんだと感じてます。輪読演習って言うらしいけど、論文読んで疑問に思ったことをお互い話し合うような授業をします。まとめてこいっていうのが大学までの授業だったけど、今は分からないことをみんなで共有して話し合おうぜ!っていうスタンスです。そこからいろんな話題に派生して色んな話を聞けます。でも先生は「これはこうだから」みたいな断定した言い方はほとんどしなくて、この研究ではこう述べられている、私はこう思う、これは疑問だ、これは定説になっている、と言います。日本語学の「方法論」という授業ですが、正直受けるまでこの科目の名称の意味は分かってませんでした。でも今は、論文を批判的に読んで、分からないことを整理して、周りと共有して自分の意見を持ち、それが仮説になって研究につながるんだなあと分かり、この過程が日本語学研究の方法なんだと気づかされました。

 そういえば今週末は日本語教育能力検定試験ですね。私も受けに行きます。今年はいったいどんな問題が出るのか楽しみです。今年はもっと新しい見方で試験に当たれる気がしています。




大学院での生活