2022.10.13 有生性の階層

 昨日は多領域横断型の講義が一つと、日本語学が一つ。
 多領域横断型の講義は半年かけていろんな先生の研究分野を聞くというもの。私は日本語、日本語教育方面の授業しか履修してないけど、この講義はそれとは全く関係ない話も聞けるから実は刺激的だと思う。全く何も知らない領域の話をいきなり話されるからどうにもうまく答えられないんだけど、みんなそんな感じだった。

 それから日本語学、これはめちゃくちゃ面白かった。講義というよりは議論のような形だったと思う。何か私から疑問を提示してそれをその場で考えていく形式。特に方言の話がすごかった。
 メモも何もしてないので覚えてることを書くけど、奄美のある方言では「お母さん」「彼」「私」のような特定できる人物を指す人称代名詞が主格で表されるときは「が」を使うが、「犬」「男性」「女親」など特定できる人物を指さない一般名詞などの場合は「ぬ」になると言った話。標準語の存在動詞は有情物に「いる」、無情物に「ある」を使うなど、その名詞の有生性が文法に関係してくるってのは世界の言語に見られる現象だけど、この奄美の方言では有生性が認められる有情物の中でも、人物を特定できる語の場合は「が」、そうでない場合は「ぬ」を使うというように共通語では見られない文法があるらしい。奄美の方言は標準語における物の捉え方、世界の認識の仕方とは違った見方をしているようで、それが少なくとも言葉には表れているとか。有生性が認められる中にも階層性があるということで、こういうのを有生性の階層(名詞句階層)と呼ばれてるらしい。この術語は初めて聞いたけど、実際目の前で説明してもらえると恐ろしいほど早く知識として定着する感じがしました。

 周りには私にはまったく理解できない、なぜそれに興味があるのか分からないことを研究している人がたくさんいます。彼らにとっては私の興味もそう見えてるはず。でもそれぞれその人なりの意義があってやってることは分かってます。方言研究は私と全く縁がなかったし、私のしたい研究とも大きく関わるわけではないけど、こうして方言をちゃんと見てみると標準語にはないような面白い違いがあって、それは確かに面白いかもと思いました。




大学院での生活