「くれてやる」はなぜ「やる」と同じ意味?
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質問者さん(中国)

管理人
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現代日本語では他の人にただで物を与えることに「やる」、他の人が自分に物を渡すことに「くれる」を使います。「やる」は話し手の視点が授受の与え手にある遠心性授与動詞、「くれる」は話し手の視点が授受の受け手にある求心的授与動詞で、日本語の授受動詞(本動詞用法)はこうして人称的方向性による対立を成しています。自分が他の人に物を与える場面では「やる」を使うのが現代の文法ですが、これで「くれてやる(=やる)」を理解しようとするとよく分からなくなっちゃいます。だって「くれる」は相手から自分への物の移動なのに、「くれてやる」はその逆だからです。
そこで出てくるのが方言。各地の方言における遠心性授与動詞と求心的授与動詞は何が使われてるか調べた結果、ざっくりこのような分布が見られました
近畿・中国・四国地方は遠心的授与動詞に<やる>、求心的授与動詞に<くれる>を使っていて現代の共通語と同じ。でもそれより東側、西側は遠心的授与動詞にも求心的授与動詞にも<くれる>を使っていて人称的方向性の区別なく用いられてました。これはABA分布(周圏分布)と呼ばれる方言分布で、当時の文化的中心地である近畿地方から言葉が同心円状に広がり、遠くに行くほど古形が残っているとする証拠です。つまりかつては近畿・中国・四国地方でも〔くれる – くれる〕だったことが推測できます。〔やる – くれる〕は中世以降に新しく生まれた体系で、文献でも中世以前の中央語(京都語)では「くれる」が人称的方向性の区別なく使われていました。
で、本題の「くれてやる」。
本動詞の「くれる」は昔遠心的授与動詞として使われていたので、これは現代の「やる」「あげる」に相当します。言い換えれば「やる」とか「あげてやる」と同じ! こういう言葉の変化が背景にありました。
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