令和3年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅰ 問題12解説

問1 席次計画

 私は文法がすごく好きでそっちのほうが得意なんですけど、こういう感じの政策系の問題はほとんど知らないので苦手中の苦手です…
 この問題はここが参考になりました。併せて読んでみてください。
 参考・引用元:国際交流基金 – 日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第34回

 席次計画とは…

どの言語を公用語・国語とするか、司法、行政はどの言語で行うか、教育用言語をどうするか、新聞やテレビではどの言語を用いるか(用いないか)などを決めること。

 1 分かりませーん
 2 これが席次計画です! 「ある言語に特定の地位を与える」=「その言語を公用語・国語とする」みたいなイメージ
 3 本体計画かな?
 4 これも本体計画かな?

 したがって答えは2です。

 

問2 普及計画

 3つ目の計画は「普及計画」です。
 普及計画とは…

言語をどのように習得させ、普及させていくかを決定すること。

 したがって答えは1です。
 私は3を選んでしまい1問間違えました…

 参考・引用元:国際交流基金 – 日本語教育通信 日本語・日本語教育を研究する 第34回



問3 古代に初めて導入された文字

 ※この問題はページ下部のコメント欄からご協力よろしくお願いいたします。

 選択肢3
 応神天皇のころに百済から和仁という学者が当時の日本にきて、論語や千字文(漢字や漢文の教科書みたいなもの)を伝えたと言われています。実際はそれよりも前、邪馬台国の卑弥呼が中国の魏に使いを送った三世紀ごろ、すでに大陸(中国)からの渡来人によって漢字は伝来していたと考えられています。問題文ではこの時の中国を上位文化と呼んでいて、上位文化の文字は漢字を指しているんだと思います。

 この問題正直めちゃくちゃ苦手… 一応答えは3です。

  

問4 日本語のあり方

 明治三十五年に打ち出された国語調査委員会の基本方針をまず見てみましょう。

一、文字ハ音韻文字(フオノグラム)ヲ採用スルコトヽシ仮名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト
二、文字ハ言文一致体ヲ採用スルコトヽシ是ニ関スル調査ヲ為スコト
三、国語ノ音韻組織ヲ調査スルコト
四、方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト

 選択肢1
 一の内容と関連してます。一は、漢字を全廃して仮名あるいはローマ字のような音韻文字を使っていくことを目標としたものです。だから選択肢1の記述と一致します。しかし、現代ではちゃんと漢字が残ってますね。

 選択肢2
 選択肢3の内容の後の話です。
 言文一致は知識や技術の普及のためだけに勧められたわけではなく、もう一つの重要な目的として「国語」を制定することにありました。お国言葉で生きていた人々の「藩に属している」と考え方を、「国語」を制定することによって「日本という国に属している」という考え方に変えていくわけです。上田万年は『国語と国家と』で言文一致によって共通言語を作り出し、それを「国語」にして日本を近代国家にしていこうと説いています。
 しかし、国語(東京方言)が価値の高いものとして扱われるようになると、東京方言以外の言葉の存在が邪魔になりました。これが「方言」であり、はじめは国語を標準語として成立させるための妨げとなるものという概念で生まれた言葉です。そういった方言を排除するために、沖縄では「方言札」で方言の使用を制限するような教育が行われています。
 方言は守られているというより虐げられていました。
 この記述は間違いです。

 選択肢3
 鎖国の後に国を開いた明治政府は近代国家建設のため、言文一致論の考え方で近代化を促進しようとしました。
 開国当時の日本では漢文体、和文体、候文などの様々な書き言葉と、それらとはまた違う地域の話し言葉が用いられていました。欧米諸国の知識や技術を広く普及させるために、話し言葉と書き言葉を一致させる必要があるというのが言文一致論です。話し言葉に基づいたやさしい書き言葉を生み出し、国民に広く普及させようとしました。
 正しい記述で、上記のニと関連してます。

 選択肢4
 江戸時代は300近くの地域(藩)に分かれ、日本は独立国が集まった状態でした。場所によって言葉はバラバラで、当時は国から出ずに一生を終える人も多く、お国言葉だけで生きていた人が多かったそうです。なので江戸時代にははっきりとした共通語が存在しませんでした。
 幕末の頃になると色んな地方から人々が集まってくるようになったのですが、やはり言葉が違って通じなかったようで、中には単語単語で意思疎通を図ったり、「~候」などと書き言葉を話し言葉として用いることもあったようです。
 明治時代になると中央政府が全国を治めることになりました。明治20年代後半ごろに日本を一つの国にまとめ上げるために標準語が必要だという声が上がり、そのためにはどこの地域を標準語とするかを決めなければいけなかったそうです。そこで当時の言語学者たちが全国の方言を調べ、最終的に東京と京都が対立しました。当時は既に東京が首都だったので若い人たちは「東京で良いだろう」と、そしてかつて京都に都がおかれていた時代を生きていた人たちは「京都にしよう」と考えていたようです。それから標準語は決まることなく10年が過ぎ、京都派だった学者の多くが亡くなってしまったことから東京派の意見に傾き、明治37年に東京の教養ある男子の使う言葉を標準語とすることが決まりました。(決まったというと聞こえがいいですけどね、当時の何が標準語かを決めることができる学者や政治家、文学者たちが、自分が使っている話し言葉を標準にすることで、自分たちの話し方を変えずに正しい国語の使い手になろうとしたわけです。こう見ると卑しい人たちに見えますね。) このような経緯で「国語」が定まりました。
 この選択肢は正しいです。

 答えは2です。

 

問5 2010年、常用漢字表の改定

 この問題は「改定常用漢字表 平成22年6月7日 文化審議会答申」が参考になります。

 選択肢1

 (20)ページに印刷文字と手書き文字の書き方が違うことについて書かれています。「令」はこのように手書きと明朝体では字形が違います。しかし教科書体に統一したわけではありません。違いはあるものの「書き方の習慣を改めようとするものではない」と書かれています。

 選択肢2
 157ページ「追加字種」の表に「岡」も「茨」も含まれており、確かに追加されています。
 これが正しい選択肢。

 選択肢3
 2010年の改定常用漢字表は2136字です。1945字は昭和56年内閣告示第1号として告示された常用漢字表の数です。

 選択肢4
 

 3ページ本表の一番上、「亜」も「亞」も残ってます。別に削除はされていません。

 したがって答えは2です。

 




2022年9月23日令和3年度, 日本語教育能力検定試験