令和元年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅲ 問題17解説
記述 問題17
模範解答分からないですけど、試験中に私が考えたこと全部書きます!!
「やさしい日本語」はもともと、1995年1月の阪神・淡路大震災のときに外国人に必要な情報が届けられなかったというのがきっかけになって考えられたものです。ニュースのような伝え方は独特なので日本語のレベルが高くないと分からなかったり、分かりにくかったりするから、やさしい表現を使ったらどうですかという感じ。
やさしい日本語はこういう背景があるよということが分かっていれば、「外国人の日本語力を低く見ている」という指摘がどれだけ的外れなのかが分かります。
それから… 私は複言語主義をキーワードにもう一つ反論を考えました。
昔は母語話者のように流暢に言語を操ることが最終目標だという考え方で言語教育が行われていた(みたい)ですが、今はその人が必要だと思う言語レベルに達すれば良いんじゃない? っていう考え方に変わってきています。この考え方が複言語主義です。
「(やさしい日本語は外国人の)正しい日本語を覚える機会を奪ってしまう」という指摘は複言語主義に基づくものではありません。完璧に話せるようになるのが言語学習だという従来の考え方に基づくものです。
というわけで… 私はこう書きました! (一字一句同じ)
このような批判については、2つの観点から意見を述べたい。まず、①やさしい日本語は災害時に外国人へ情報を伝えるために考えられた言語変種なので、元々外国人の日本語能力を高めるためのものではないということ。やさしい日本語が必要である理由は、能力を高めることとは関係なく、日本に住む外国人の命を守れるからである。また、やさしい日本語は元の自然な表現をやさしい表現に変えるので、その元の表現を見れば正しい日本語にも触れられる。もう一つは、②近年はその学習者が必要だと思うレベルの言語能力を身につければいいとする、CEFRの複言語主義が広まってきている。それまでは母語話者並みの日本語を使えるようになることが絶対目標だった。正しい日本語を覚える機会を奪うという考え方は、複言語主義ではない。だからそれらの批判はそもそも目的を理解しておらず、今の主な考え方とも合っていないと考える。
うーん… 恥ずかしいんですけど、皆さんの参考になれれば。
「言語変種」とか「元の表現を見れば~」とか要らないなあって思いますけど、言いたいことはちゃんと書きました!
言語権や規範主義をキーワードに書いた方がいらっしゃいましたら、ぜひコメントください。