教育方針の衝突

 先日とある先生からお声を掛けて頂き、私の授業とこの先生の授業の内容を共有することとなりました。この先生の授業内容は聴解で、基本的に学生は話すことがありません。ですから私の授業で同じ内容の発話を促して欲しいという内容でした。授業を共有することで学生への負担を減らし、効率的な記憶の定着を促す目的があります。その一環としてお互いの授業を見学し終わったのが昨日の話。その時一つ厄介な問題が発覚して現在に至ります。学生から聞いたのですが、その先生は怒っているようなのです。私に対してではなく、学生に対してです。

 私の授業での学生達の出来に満足しなかったようなのです。聴解はある程度問題はないと踏んでいたようですが、発話となるとまた話は別でしょう。私はそう思うのですが、その先生は学生に多くを要求し、「できるでしょう」という接し方をしてきているようなのです。その後先生は学生に多くの宿題を出しました。

 偉そうにも私の教育方針を言わせてもらうとすれば「自分がしたい事をすべき」だと思ってます。逆に言えば、日本語を勉強したくないのであれば強制しません。これは中国の大学進学事情を鑑みての考えです。ですからその延長で私は宿題を出すことはしません。ゆっくり焦らずというスタンスで、むしろ学生の「勉強したい」という意欲を引き出す工夫をすべきだと思っています。主役は教師ではなく、あくまで学生ですから。

 宿題は中国語で作业(作業)と書きます。

 宿題が極端に多くなるとモチベーションの維持が難しくなります。人によって適切な学習方法は異なるというのに、自分のしたい方面で勉強する時間すらないまま毎日宿題ばかりこなして、これではまさに作业(作業)でしかありません。中学校・高校から大量の宿題を与えられ続けた学生はあまり疑問に思わないのでしょうが、宿題は必ずしも良い効果があるとは限らないと考えています。

 授業内容を共有するといったものの、最も肝心な教育方針が根本的に異なるのでは先が思いやられます。しかし相手もまた先生。こういう状況になっても中々本心を言い出せる相手ではなく、非常に難しい問題です…。




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