平成30年度 日本語教育能力検定試験 試験Ⅰ 問題3C解説
(11)漠然性(vagueness)
漠然性ってなんだ?ってことですが、文章中にも「明確でない」としか説明がありません。まあ明確ではない部分があるかどうかを見ていきます。
1 タコにはもともと8本の足があり、その数が特定されています。
2 左右は特定されていませんが、数と部位は分かります。
3 どちらの足のどこを怪我したのかが特定できません。
4 走る速度を表しています。
したがって答えは3です。
(12)「ちょっと」の用法
1 呼びかけ
2 物の数量や程度を表す用法
3 物の数量や程度を表す用法
4 物の数量や程度を表す用法
したがって答えは1です。
(13)構造的曖昧性
構造的曖昧性については文章中に説明があります。「語形成レベルや文のレベルで生じる構造」だそうです。
1 「10名くらい」の人数が明確ではないので漠然性。
2 「1000人ばかり」の人数が明確ではないので漠然性。
3 漠然性も曖昧性もなし。全部はっきり分かります。
4 話者が「大学で」話を聞いたのか、それとも友達が「大学で」財布を落としたのか、複数の解釈ができます。文法レベルで生じた構造的曖昧性を持ってます。
したがって答えは4です。
(14)言語情報が不足していることによって解釈が決定できないケース
1 返答の「いいよ」が、良いのかダメなのか分かりません。どう理解していいか文面だけだと困るケースです。
2 「仕事が早く終われば行く」という意味で、解釈は一つです。
3 この場合の「結構ですよ」は「良いですよ」という意味です。「よ」があるとほぼOKの意味です。「よ」がないとダメであることが多い気がします。
4 「誰?」に対して明確に「太郎です」と答えています。
したがって答えは1です。
(15)あいまいさ
命題とは、その文の客観的な内容の部分のことを指します。「先生、私には妹がいます。」の命題は「私には妹がいます」です。よって、この文の命題は解釈可能です。
しかし、この学習者は授業後、突然教師に「先生、私には妹がいます」と言っています。何の脈絡もなくこのような事を言われると、その命題は理解できても発話者の意図が理解できないため、ここに曖昧性が生まれます。
したがって答えは3です。
ディスカッション
コメント一覧
お尋ねします。スパッスパッと切れ味よく説明していただきありがとうございます。
ところで、30年度試験1のCの14
「明日のカラオケに山田さんも誘う?」と聞かれて、「いいよ」と回答し、解説では、「いいよ」では、回答になってないとの趣旨でした。普通、このような場合、「いいよ」のあとに、「いいよ、誘わない」と言うことが有るかなと疑問に思いました。
>メロンパンさん
おっしゃる通りです。「いいよ」はイントネーション次第でOKの意味にもダメの意味にもなります。「良いよ」と「いいよ(結構です)」のことですね。ですからメール等の文面で「いいよ」と返信しただけでは言語情報が不足していて解釈が決定できないというわけです。
早速のご返事、本当にありがとうございました。
自分自身の思い込みでした。確かにメール文では、わかりませんね。
検定試験合格は難しそうですが、問題集を解きながら、「毎日のんびり日本語」の先生の回答が理路整然、広い知識からのご説明で、それを読むのが毎日とても楽しいです。
初めてコメントいたします。令和4年の試験合格を目指している者です。
このサイトを発見してから大変重宝させていただきありがたいと思っています。
しかしこの(14)の問題は非常に不愉快です。私は正解は2だと思いました。
取り合えず管理人様の正解の解説を元に私なりの解釈を記したいと思います。
正解1の「いいよ」という返答は確かに肯定の「いいよ」と否定の「いいよ」があります。
口頭の会話では口調で「いいよ」が肯定なのか否定なのか解りますが、
この問題ではメールなので判断できないかもしれません。
しかし、「問いかけ文」の「誘う?」が肯定の「いいよ」を誘導していると思えませんか。
別の言い方をすれば「誘っていい?」ならばもっと明確に肯定の「いいよ」を誘導していると思います。
また、「誘った方がいい?」はどうでしょう?「いいか悪いか」判断を問いかけています。
このときに「いいよ」と答えられたら私だったら肯定なのか否定なのか判断に迷うかもしれない。
どちらかというと肯定に近いですが。
それからメールで否定の意味で「いいよ」を使うでしょうか?
あまり現実的に否定の意味で「いいよ」を使うと思えないのです。
ということで私の判断ではこの「いいよ」は肯定と思いました。
逆に言えば問いかけ文の「誘う?」が曖昧で言語情報が不足していることにより
この1が正解であるならば取り合えず納得いたします。
私が2が正解だと思った理由は「仕事が早く終われば」は明確に「行く」でしょうか?
「行けるかもしれない」、「行けるかな?」ぐらいの解釈しか私はできませんでした。
関西人がよく使う「行けたら行くよ」が断り表現であるのと同じ考え方です。
「ればたら」に後接するのに「かも知れない」、「かな?」も間違ってないと思うのですが。
ということで私は最初は2が正解だと思いました。
それから3の回答もい気に入らないですね。「結構ですよ」と上司が答える?
これこそ、「いいよ」とか「どうぞ」ではないかと思うのですが。
この回答でも判断に結構に困りますよね。
何かこの問題は問題そのものが曖昧で解釈がどうにでも取れるので非常に不愉快です。
企業に長年勤めていた人間にとっては言語の裏を見るとか読むとかも必要だったので
妙にうがった見方をするのが災いしているのかもしれません。
私のこのコメント文の添削と上記解釈を含めて管理人様のコメントを是非お願いいたします。
>マッツさん
コメントありがとうございます。
選択肢1について
誘うことを肯定するときの「いいよ」と否定するときの「いいよ」では、口頭で話すときに文末イントネーションや声の調子が変わるはずです。イントネーションや声の調子は文字にすることができないため、「いいよ」と書いただけでは複数の解釈が可能です。
選択肢2について
「~ばいいです」という一つの定型表現です。この定型表現は「ば」で言いさして、後件の「いいです」の類を省略することが可能です。「仕事が早く終われば」の後件は「いい」あるいは「行く」が来ることは予想でき、この点で「行く」という命題(客観的な意味内容)は相手に伝わるので曖昧ではありません。
さらにその後ろに可能性の「かもしれない」「かな」などが来ることも考慮されているようですが、これは話者自身の判断を表すものであって、命題の解釈とは別物です。ここまで考慮すれば「かもしれない」が後接される発話が全て曖昧ということになってしまいます。
問題文自体への指摘については私にはどうしようもないので答えられません。
主観ではなく、全ての問題を文法規則から解くと良いと思います。
早速、回答いただきありがとうございます。
解説を読んで1は理解できていたのですが2は納得いかなかったので
コメントを送信した次第です。
2については定型文ということで理解いたしました。
主観にとらわれずに文法規則から回答を導き出すというのがいいのですね。
ありがとうございました。