間接受身とは?
間接受身とは?
間接受身(indirect passive)は別名、迷惑の受身とも呼ばれ、自動詞の受身、持ち主の受身の受身を含みます。定義もいろいろあります。
①対応する能動文に補語として含まれていない人物を主語に立てる受身文。
②対応する能動文が表す事態には直接関わっていない人物を主語に立てる受身文。
③受身文の補語の数と対応する能動文の補語の数が一致しない受身文。
間接受身文 | 対応する能動文 | |
---|---|---|
(1) | 私が 母親に 鍵を かけられた。 | 母親が 鍵を かけた。 |
(2) | 私が 南側に ビルを 建てられた。 | 南側に ビルが 建った。 |
(3) | 私が 彼に 先に スタートされた。 | 彼が 先に スタートした。 |
①と②の定義について
左側の間接受身文の主語には「私が」がありますが、対応する能動文には「私」がありません。つまり、対応する能動文から受身文を作ろうと思ったら、対応する能動文で明示されていない人物が受身文で急に現れてくるわけです。このようなやつが間接受身文です。なぜこんなことが起きるかというと… (1)では「母親が鍵をかけた」という独立した事態があって、その影響が間接的に「私」に及んでいます。つまり「私」は「母親が鍵をかけた」という事態と関係していません。だから直接関わらない「私」は対応する能動文に含まれない、ということなんです。
③の定義について
例文(1)の補語の数を見ると「私が」「母親に」「鍵を」の3つありますが、対応する能動文には「母親が」「鍵を」の2つしかありません。そりゃそうです。それまで存在しなかった人物が主語になるんだから、補語の数が一致しないのは当たり前ですね。これも間接受身文の定義になります。
ディスカッション
コメント一覧
「持ち主の受身」と「迷惑の受身」の違いについて質問をさせてください。上記解説では「持ち主の受身」⇒主語の身体的部位や所有物を目的語とする他動詞の受身形、「迷惑受身」⇒主語から見て迷惑と感じるもの、と記載されていますが、持ち主の受身の文例①-(7)・(8)・(9)はいずれも、踏まれた・盗まれた・切られた、というように、迷惑と感じるものなのですが、なぜ迷惑受身ではなく持ち主の受身として分類されているのでしょうか?
また、迷惑受身の文例②-(11)・(13)は、日記を見られた、ノートを破られた、というように、所有物を目的語とする他動詞の受身形であるのに「持ち主の受身」ではなく迷惑の受け身に分類されているのはなぜでしょうか?
私の質問の前提に誤解があるかもしれませんが、解説をよろしくお願いします。
>ヒロシさん
こんにちは、コメントありがとうございます!
「財布を盗まれた」も「先生に英語を褒められた」も持ち主の受身です。所有の受身は前者のように迷惑を感じることがありますが、後者のように迷惑を感じないものもあります。迷惑だと感じるかどうかは動詞によるもので、文型によるものではありません。必ずしも迷惑を表すとは限らないのです。一方で迷惑の受け身は文自体で迷惑のニュアンスを生み出すので、全ての文が迷惑と感じます。
私はこのように理解しておりますがどうでしょうか。お気づきの点、間違い等ありましたらご指摘頂ければと思います!
早々に返信をいただき、ありがとうございました。大変恐縮ですが、追加の質問をさせてください。
「先生に英語を褒められた」が、持ち主の受身とのことですが、上記解説では「持ち主の受身」⇒主語の身体的部位や所有物を目的語とする他動詞の受身形、とあります。「英語を褒められた」ことの何が身体的部位や所有物なのでしょうか?
また、「財布を盗まれた」について、「持ち主の受身」であるが「迷惑を感じるもの」という解説でしたが、「持ち主の受身」でありながら、かつ「迷惑の受け身」であるということでしょうか?
上記解説では、「間接受身は、①持ち主の受身と②迷惑の受け身の2つに分類される」とあったため、私は「①か②のどちらかに分類される」と理解していましたが、ひょっとして「①でかつ②」というものもあるということでしょうか?
>ヒロシさん
英語は勉学を通して身につけたものですからここでは所有物として扱っています。
また、「①かつ②」の状況はあり得ません。間接受身は必ずいずれかに分類されます。迷惑を感じるからと言って必ず迷惑の受け身に分類されるとは限りません。迷惑の受け身は文全体で必ず迷惑のニュアンスを生み出します。持ち主の受け身は動詞によって迷惑のニュアンスを含むこともありますが、持ち主の受け身であることには変わりません。
ご丁寧な解説をいただきありがとうございます。
「英語は勉学を通して身につけた『モノ』だから所有物」とのこと、理解できました。
また、「①かつ②はあり得ない」とのこと、についても理解しました。
しかし、「(7)彼女に足を踏まれた」が持ち主の受身で、「(12)妹にノートを破られた」が迷惑の受け身、という違いがどうしても理解できません。(7)「足を踏まれた」は「持ち主の受身」の定義にある「主語の身体的部位や…の受身形」について「足」が該当し、かつ迷惑を受けている(踏まれた)と理解できますし、(12)も「ノート」という所有物が迷惑を受けている(破られた)と理解できると思います。
持ち主の受身と迷惑の受け身、夫々の特徴・定義は何となく理解出来たような気がするのですが、試験で文例が出てきた時に、その文が「持ち主の受身」なのか「迷惑の受け身」なのかを正しく判別する方法をあらためてご指導いただけないでしょうか?よろしくおねがいします。
大変参考になりました。ありがとうございます。「英語にも訳しにくい形式です。」は、蛇足だと思います。
>MMSさん
コメントありがとうございます!
不要とのことご指摘ですのでこの文言は削除させていただきます。
実際のところ英語には詳しくないので、どこかの参考書に書かれていたものの受け売りだったものです。
貴重なご意見ありがとうございました!
分かりやすくて、勉強になります。。
ある問題集に「受身文の誤用」にあったものです。5択の中で「火事で焼け出された。」を正解としています。(他の選択肢「彼女の笑顔で癒された。」以下省略)解説には「慣用的な表現」ということですが、
受身文の関連問題で、このような誤用を認識していませんでした。「慣用的な表現」と言われても、一見したところ受身と捉えてしまうのですが、どのように対応すべきかご教示ください。
部外者がすみません。
「火事で焼け出される」の「焼け出される」は受身形ではなく自動詞のようです。
調べたらでてきます。