中国での生活

  学校からバスで30分ほどのところにある、その名も「人民公園」。今日は仕事が終わった後、一年生たちと遊びに行ってきました。公園の名前がいかにも中国らしいですね~。「自然公園には自然があるけど、人民公園には人民がいる」と冗談で聞いたことがあります。そのとおり、本当に人であふれていました。公園のあちこちから爆音。学生たちは「热闹(re4 nao)」、つまり「賑やかだ」と表現していたんですが、どう聞いても私には爆音・騒音にしか聞こえないわけです。

 すると一人の学生が突然
 「この歌知ってますか?”小さな林檎(小苹果)”という歌です。」
 と言って、あるダンスをしている集団を指差しました。どうやらこの歌は、中国で昔非常に人気があった歌らしいのです。遠くからでも聞き覚えがないことは分かってましたが、学生にそう言われたら無視するわけにもいかない。そうして、その集団に近づくことになったわけです。

 徐々に近づくにつれ、私は異変に気づきました。何かヤバいやつがいる、と。

 これは完全にアウトなやつでしょう・・・。文字通り、開いた口が塞がらなくなり、時間がしばらく凍って、その後に笑いがこみ上げてくるという不思議な感情に遭遇しました。笑いのせいでカメラを構えることも困難だったので、学生に頼んで撮ってもらった写真です。

 至極当然のように素顔を晒して見せるので、不可避の抱腹絶倒。手前の奴が仮に”ミ○キー”なら、奥の女の子らしいのが”○ニー”でしょうか。パッと見、肩幅で気づいていたのですけど、中身が男なのもまたポイントが高いですね~。ちなみにカメラ撮影を止められたりは一切しませんでした。

 そしてもっと驚いたことは、学生は奴を「ミッキー」と呼んだのです。冗談で言ってるのか本当なのかは定かではありませんが、同時に「可愛い」と言い足したところを考慮すれば、本心で奴を「ミッキー」だと思っているのでしょう。その時気づきました。この国には本当に、著作権という概念がない、と。思えば、「日本のドラマが好きです!アニメが好きです!漫画が好きです!」と言う学生たちは、もれなくインターネットでそれを閲覧するのです。彼らは、してはいけないことを息をするようにしている。しかしそれに気づいていない。というか、簡単に言いくるめれば”文化”なのでしょう! そうです。文化ということにしておけばそれ以上議論の余地はないですからね。それにしても、偽者を見たときは「まさか」という思いがしました。もし日本で同じことが行われていたらと思うとゾッとしますね。

 面白いものを見たあとは食事。
 バイキング形式で非常に豪華、大満足でした。あまりに高級そうな入り口だったので、私はすぐ財布を取り出して学生のもとに駆け寄ったのですが、多くの場合、学生たちは頑なにお金を受け取ろうとしません。当然今回もそうでした。結局、一人何元だったのかは分からないままです。おそらく相当高い・・・。40元ほどかな・・・? 私の押しが弱いんでしょうか。無理やり彼らの手を取ってお金を握らせるくらいの勢いで払う意思を見せなければいけないのかもしれませんね・・・。

 さて、好きなものを好きなだけ食べられる。こんな偏食と贅沢は他にありません。私が一番気に入ったのは、みかん。非常においしくて、何度も皿に盛っては食べてました。学生が携帯で辞書を引きながら「缶詰」と言ったのを皮切りに私は恥ずかしくなりましたが、それでも箸は止まりません。久しぶりに本当の満腹を感じました。学生には感謝ですね!

 今日はいろいろなことがありました・・・。まだまだ言いたい事はありますが、後日まとめて書きまとめたいと思います。おやすみなさい。

中国での生活

 今月末、この学校の一大イベント、運動会があります!学生たちは必ず何かしらの競技に出場しなければいけないのですが、私の属する外国語学院は女子学生が90%以上ですから、みんな走ったりする陸上競技にはあまり積極的ではないのです。そこで一つの妥協案?のようなものが存在します。陸上競技をやりたくないという学生にはダンスをしてもらうのです。

 今日はそのダンスの練習をちらっと見てきました。
 ダンスの練習は今週の火曜日から始まったそうです。毎朝6時に広場集合して、それから1時間半ほど踊り続ける。朝に備えて夜は早く寝なければならないので、最近学生から「眠い」という言葉をよく聞きます。それもそうです。ダンスの練習が終わってまもなく授業が始まるわけですから。

 運動会、私は5000mと3000m、1500mに出場してほしいと言われていています。よりによって長距離・中距離ばかり。趣味はマラソンと言ったのが確実に影響してますね・・・。まあせっかくなので参加はしようと思ってます。1500mは短いのでスピードに自信がないですが、5000mと3000mならきっと善戦できる気がします。

 私も運動会に向けてそろそろ走りこまなければ・・・。

日本語教師のお仕事

 中国人は、友達という関係をとても大切にします。友達のためなら何でもするし、手伝う。例えば、一人で買い物している中国人はほぼ見ません。髪を切るのにも必ず同伴します。ご飯はもちろん、一人で食べているのはかなり少数派。何をするにも絶対複数人でいるのです。「先生は中国に友達がいないのに、一人で来たんですか?」とたくさん質問されました。そうですと答えると、「寂しくないですか?」「勇気がありますね」の2択です。彼らにとって友達とは、心強く、寂しさを消してくれる存在なのでしょう。中国人の”ウチ”に入ると友達に扱われ、”ソト”の他人は厳しくあしらわれます。私は日本語教師という立場で彼らの”ウチ”に入ったので、彼らにとって私は友達なのでしょう。事実、彼らの口から「先生は友達」と何度も何度も聞きました。

 私と学生の関係が友達なら、気兼ねなく私と接することができ、いつでも私に電話をかけられ、分からないことがあったらすぐ質問できる。それは言葉を勉強するにあたって良い影響をもたらすはずです。しかし、良い面ばかりあるとは限りません。今日はその悪い面が現れた日でした。

 先日の授業で拍の感覚をいまいち掴みきれていない1年生に対し、今日は個別指導をしました。彼女は拍を最も苦手としており、誰よりも先に指導するべきだと思っていた学生です。初めは悪戦苦闘しつつもコツを掴んできて好感触だったのですが、30分ほど進んだところで突然つまづき、「難しいからやりたくない」と言い出したのです。その瞬間、彼女の私に対する扱いを理解しました。もし彼女の中で「私は先生だ」という考えが少しでもあるならそんなことを言わないはずです。つまり彼女は心底私を「友達」と思っていたのです。「これは勉強したくないんですか?」と最後の確認の意味で質問をしました。すると、そうだと答えたため、私は広げていた教材を片付けて「あなたにはもう教えません」と言いました。それ以外の部分でも、彼女の行動は悪い意味で馴れ馴れしいと思っていたところ、この発言が怒りの引き金となったわけです。

 その後、彼女は私の変化に気づき、急に謝り出しました。手のひら返しは食わぬと、しばらくは彼女の言動や態度を注視していたのですが、本当に困り果てていたのでその場は私が妥協することにしました。「勉強したいですか?」と聞くと「したい」と答えたので、最終的には再開することになったわけです。

 個別指導が終わったら、私は彼女に注意をしました。
 「私とあなたは友達ではない。私はあなたの先生です。勘違いしてはいけません。」
 これを聞いた彼女は、「私は友達だと思ってる。それは一番良いことだから」と言いました。
 「私はあなたの友達ではありません。」
 「しかし・・・」
 「しかし、ではありません。あなたは間違っている。」
 この一連の会話は、彼女にとって辛かったはずです。友達ではないと言われたわけですから、簡単に想像できます。しかし彼女のためを思ってのこと。あえて突き放さなければ、彼女は私を先生だと認識しないでしょうから。

 相手は一年生。難しい文法や単語を使えば理解不能になりますから、こういった大切な場面では、端的かつストレートに、難しくない言葉を選んで伝えるようにします。そのため、今回の注意はかなりキツいものになってしまいました。その点は反省しなければいけません・・・。この真意は「私を友達だと思っても全く構わないし、友達と同じように接してきてもいいですが、同時に先生であるということを絶対に忘れてはいけない。」ということです。彼女と別れたあとにフォローの微信を送りました。文字で見れば多少難しくても解読できるでしょう。

 話を戻しますが、一部の学生は「友達」という言葉を多用します。初めは感心していたんですが、あからさまに友達、友達とたくさん言われると、逆にうっとおしくなってきて、何か裏があるのではないか?と考えてしまいます。日本ではいちいち「あなたは友達」なんて絶対言いません。友達とは知らないうちに友達になっていて、言わなくてもお互いに認識している。確認なんて必要ないのです。うっとおしさを感じるのは私が日本人だからでしょうが、いったい本人はどういう気持ちで発言するんでしょうか・・・。ここからは推測ですが、「あなたは友達」と言うことによって相手の様子を伺い、相手がどう思っているかを本人も知らないうちに確認しているんじゃないかと思ってます。不安なんでしょう。なぜなら彼らにとって友達とは、心強く、寂しさを消してくれる存在ですから。

 さて、この仕事を始めてまだ1ヶ月。この学校の日本語教師は私だけですから、先輩という模範の存在を知りません。全て私の力量で捌いていくしかないわけですが・・・ 正直今日の私の行動にはあまり自信がありません。振り返るとどうするのが正しかったのか、分からないのです。これもまた経験でしょうね・・・。じっくり考えてみることにします。