【第20回】将棋と侍の精神

 棋士升田幸三をご存じですか?
 終戦直後、升田先生がGHQに「将棋は人材を有効に活用する合理的なゲームである。」と語って将棋を存続させた話はとても有名な話です。
 
 将棋は取った駒を持ち駒として使うことができます。
 GHQはこれが「捕虜虐待の思想に繋がる」として将棋自体を禁止しようとしたのですが、升田先生はチェスのルールを引き合いに出して反論しました。

 ”現代に将棋という文化が残っているのは升田先生のおかげといってもいい” と話す人も少なくありません。

 一方今年の将棋ブームのおかげか、この間学生と将棋について話す機会がありました。
 彼は日本の侍や武士の精神の話をして、将棋にこのような苦言を呈していました。

 侍は主君に仕えて主君の為に命を捧げるものなのに、将棋の駒は寝返っている。
 侍の精神がなく、美しくない。

 升田先生の発言とは論点が違うので比較はできませんが、これについてどう考えますか?
 私は確かにそういう見方もあるんだなあと素直に感心させられました。
 これはまさに外国人だからこその視点だと思います。

 恥ずかしながら、実際そんなことを考えながら指したことがありませんでした…。

 ちなみに、優秀なプレイヤーは駒を有効に配置・活用できます。
 それはつまり駒に寝返る”隙”を与えず相手玉を詰ますこともできるということ。

 将棋用語ではよく「働きが悪い」とか「重い」とか言いますが、こういう指し手は駒に嫌われます。
 確かに駒はより優秀な主君に味方することのほうが多い気がしますね。
 
 とても面白い考え方でした。

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